カンボジアのマイクロファイナンス業界の歴史
こんにちは!
本日はカンボジアのマイクロファイナンス業界の歴史についてお話したいと思います。
同国の金融業界というと、投資家の間では、ドル建て高金利のイメージが強いかもしれませんね。
マイクロファイナンスは結局貧困層の救済に役立っているのか?長年の議論ではありますが、まずは歴史を紐解いて、同国ではどのような変化があったのか見ていきましょう。
の前に、世界を見ましょう。
マイクロファイナンスの概念は実は江戸時代の日本にもあったと言われています。
当時は無尽や講と呼ばれ、相互扶助を目的としたコミュニティ内の金融システムだったそうです。
世界的に有名になったのは、バングラデシュのグラミン銀行です。
1970年代から、以前までは金融サービスを得られなかった貧困層向けへの無担保のグループ貸付が実施されました。
これが世界の他の地域での検証・実験され、排除されてきた層への金融サービスが広がりました。
2006年にグラミン銀行の創設者ムハマドユヌス博士がノーベル平和賞を受賞し、マイクロファイナンスへさらに注目が集まることになりました。
さて舞台はカンボジアに戻ります。以下はカンボジアマイクロファイナンス協会のホームページを参考にしています。
同国では、内戦直後の1990年以前、国際NGOが始めたことがきっかけとされています。
なんとこのときにはアクレダ銀行の前身であるアクレダNGOが1993年に登場していました。1994年には4万4千人の借り手がいたとされています。
1990年後半になり、ようやく中央銀行による管理体制ができます。Supervision Office of Decentralised Banking System Bureauと呼ばれる機関です。
1998年には20万人を超える個人がサービスを利用。
2000年に入るとNGOだったアクレダがマイクロファイナンス機関に格上げされ、援助機関から民間企業へとシフトします。
当時の同国の自由経済と安定した政治は外国人投資家を引き寄せ、なんとローン残高の80%が外資によるファイナンスによるものだったそうです!
なお2003年の金利はなんと年42%・・。それが2004年には32%と年々低下をしていき、2017年には18%を上限とするところまで来ました。
いつから無担保グループローンから、現在の個人不動産担保融資が主流になったのかは記載がありませんが、少なくても著者がカンボジアに住み始めた2013年にはすでに不動産担保が多く見受けられました。(もちろん地方では現在でも無担保グループローンは見られます)
今日では、カンボジアのマイクロファイナンスの80%の顧客が地方に住んでいて、81%の借り手が女性、またその返済率は98%と非常に高い数字です。
―ここまで参考カンボジアマイクロファイナンス協会ホームページ
とはいえ、現在は多重債務や過剰債務、闇金(年利100%、200%なんてことも)、闇ブローカー(顧客を知り合いのMFIに連れて行って法外のフィーを請求する)が問題視され始めているので、業界全体の質向上がかかせないですね。
参考になれば幸いです!